【ベトナム進出日系企業トップ×ICONIC】ベトナムでは、どんな人材が求められているのか、 「TORAY INTERNATIONAL, INC. Chief Representative/General Manager 山口様」にお話をおうかがいしました。
積極的に何かをやってみようと思える人なら、きっと上手くいく。
20年前、ベトナム行きが決まった時は、頭の中が真っ白になりました。
松島:本日はよろしくお願いいたします。まずは、御社がベトナムでどういった事業を展開されているのか、そして山口さんのこれまでのご経歴をお聞かせください。
山口:我々、東レインターナショナルは、東レ株式会社の100%子会社の商社になります。東レ株式会社は、元は繊維から始まりましたが、今では色々なものを生産しています。
最近ではボーイングとかエアバスに使われるカーボンファイバーなんかで有名になっていますね。東レは20年前にベトナムに小さな会社を作りました。正確にはタイの東レが作ったんですけど。その時に私が初めてベトナムに来たんです。ちょうど20年前に。
松島: 20年前からベトナムにいらしてたんですね!
山口:そうなんです。加工工場を作ることになり、私はその立ち上げに携わりました。今もまだその最初の会社は残っています。5年半くらい駐在して日本に帰ることになったんですが、その後の社内異動で現所属の東レインターナショナルの配属になりました。
それが、ちょうど第二次ベトナムブームと呼ばれる、2005~2007年くらい。東レでも再度ベトナム視察団が構成されて調査をすることになりました。
しかし、ベトナムで成功している企業は、人手を多く使う企業なんです。ベトナムの一番良いところは人である、と以前から言われていて。ただ、東レは素材メーカーの為あまり人手を多く使う形態は多くない。
そこで、メーカーとしてではなくて、商社としてベトナムに進出することになりました。そうすれば進出済メーカー向けに、東レグループの材料を買っていただく、その仲立ちができると考えました。
なおかつその当時がちょうど、中国の縫製生産が徐々に他国に移行されつつあるタイミングだったので、我々東レインターナショナルは商社ではありますが、ベトナムで縫製もする会社を作ろうということになりました。
ただし、ベトナムでは商社という事業形態ではなかなか投資認可が取りづらいので、駐在員事務所というステータスで事業を展開しています。2006年に作ったので、今年でちょうど丸10年になります。
松島:山口さんは一度日本に帰国されて、再度ベトナムにいらっしゃったのはいつですか?
山口:東レインターナショナルが設立された最初からです。なので、ベトナムは通算15年になりますね。会社を作るとなり、適任者は誰だろうとなった時に、山口だろうと。
最初の5年間は、メーカーとして加工工場の立ち上げで来て、今回は商社の立ち上げをして今に至っています。ベトナムで工場の運営を経験し、今は事務所・商社としての運営もしてるということですね。
松島:そうでしたか。山口さんのキャリアのスタートは営業だったと以前おっしゃっていましたが、ベトナムに来られる前はずっと素材関係の営業をされていたんですか?
山口:はい。東レというと衣料用の繊維が一般的なんですが、私は自動車関連の繊維とか産業用の繊維を主に扱う営業でした。
松島:ずっと営業ですか?
山口:ずっと営業です。だから営業しか知らないのに、20年前にベトナムで工場を立ち上げるから行ってくれと言われた時には、もう頭の中が真っ白になりましたよ。
松島:それは、そうですよね。
山口:小さな工場でしたけど、通常東レでは工場の立ち上げをする時に営業から派遣されることは稀で、生産の人が行くことが多いんです。
それで、何で私が行くんですかと、当時は上司に食ってかかりました。しかも、私はそれまでずっと国内営業しかやっていなかったんです。
松島:海外とのやり取りをされていたわけではないんですね。それは相当な転機ですね。
山口:相当な転機どころか大転機ですよ!海外出張の経験としては、国内担当の為、業界の旅行で2回行っただけでしたから。それがいきなりベトナム勤務ですからね。
「3億円ぐらいだったら最悪失敗してもいい。ベトナムで勉強させてもらおう」と進出を決断。
松島:それは衝撃ですね。20年前の、そして改めて渡越してきた10年前と今とでは、ベトナムは変わりましたか?
山口:それぞれの時期で全然違いますね。
松島:まず、20年前は改めてどんな感じだったんですか?
山口:20年前は、今のミャンマーよりすごい状況だったと思います。今、ミャンマーが開拓の余地が豊富にある“最後の楽園”と言われていたりしますが、それ以上だったと思います。
松島:その当時、仕事をするにあたり一番苦労したことは何でしょうか?
山口:仕事で一番苦労したのは、やはりインフラが整っていなかったことですね。工場を運営している時は月報を書くんですが、毎月の月報に“今月の停電回数”を書いていたんです。50何回とか60何回とか、もうそんなでしたから。なので、最初の設備でバックアップ用にジェネレーターを一応入れました。一応。
ところが、電気の申請をしても半年経っても電気なんか来ない。だからもうバックアップ用のジェネレーターが、ずっと稼動することになったり。
松島:なるほど。まだまだインフラが整っていなかったんですね。
山口:ホテルやオフィスの数も全く足りなくて、ホテルはサイゴン川に船を浮かべたフローティングホテルにも泊まっていました。それでも、連続でとれなかったりするので一週間いる間にホテルを4回も変えなければならなかったり。
そんな大変な環境ではありましたが、当時の東レの社長が「3億円ぐらいだったら、最悪失敗してもいいから、ベトナムで勉強させてもらおう」ということで、進出を決断したんです。
松島:大胆な決断ですね。
山口:立ち上げに際しては、東レのタイの会社が一番近いので、タイで立ち上げ準備をすることになりました。タイの人たちは、大変だったら帰って来いよとか、息抜きに来ていいよとか言ってくれました。最初はそのつもりだったのですが、ベトナムに来たらむしろベトナムのほうがどんどん良くなっちゃったんです。
「バイクに変わりました」あの送辞の言葉は忘れられません。
松島:かなりご苦労が多かった中だと思うんですが、その心境の変化は何に起因するものですか?
山口:ベトナムの一番良い点というのは、やはり人なんです。手先が器用で勤勉で、識字率が高くて、給料も他国と相対比較して安い、というのがちょうど20年前くらいの第一次ベトナムブームで言われていたことでした。
実際にベトナムに来たら本当にその通りだったんですよ。本当に手先が器用で、まじめに働く人たちなんです。私は、東レのタイやインドネシア、マレーシアの工場にも行った経験がありますが、やはりベトナム人のほうが断然良く働いてくれる。この国に非常に可能性があると感じたからかもしれません。
自ら現地の人を採用して一緒に働いてみると、彼らの勤勉さをより感じます。それに私は感激しました。
当時ですから、給料も非常に安い。そして工場には当然冷房なんかまだ入っていなかったんです。なので機械のモーターの熱があるとそのあたりの気温は40度くらいになります。暑くて喉も渇くので、水を飲みに行くじゃないですか。
水飲んだら普通10分か15分くらい休憩したりするものなのに、飲んだらすぐ戻ってきて、また一生懸命仕事に取り組む。本当に取り組む姿勢が素晴らしいなと感心しました。他の国ではなかなか見られないことで、この国の人たちと一緒に成長して、彼らになんとか還元していきたいと思うようになっていきました。
松島:当然ビジネスなので、人件費なども含めて、ビジネスとしてチャンスがあるという見方もあったと思いますが、それだけでなく、ベトナムの人々にポテンシャルを強く感じられたということですか?
山口:そういうことです。この人たちの役に立ちたいなと思いました。5年経って私が日本に帰る時に送別会を開いてくれたのですが、その時にもらった送辞の言葉は今でも忘れません。
大きな講堂なんか無いですから、工場の正面の前にテントを張ってそこで送別会をしてくれたんです。
工場の正面玄関の横に駐車場があったんですが、ワーカーの代表が送辞で「あそこを見てください。私たちが働き始めた時は全員自転車でした。それが今、見てください。まだ新品ではないですけども、大半がバイクに変わりました」と。
松島:5年間で。
山口:「これは社長が一所懸命私たちの為に対応してくれたおかげです」って、こう言ってくれたんです。
松島:実際にベトナムの人たちに貢献できて、想いも伝わっていたということですね。
山口:もうぐっときましてね。涙を堪えるのが精一杯で。これは絶対にまたベトナムに帰ってきたいなと思いました。
東レはメーカーなので、工場では直ぐに三交替勤務をしました。しかし、夜は街頭も全く無く真っ暗だし、砂利道だったんです。それでも自転車で通ってくれるんですが、誰の自転車にもライトが付いてなかったんです。なので、私がまずホーチミン市でライトを買ってきて、全員の自転車につけたんです。
松島:そういうところから始まったんですね。
山口:だから、「中古だけどバイクに変わりました」と言ってくれた時は、そうやって思ってくれてたのかと。この人たちの為に頑張ってきて良かったと心から思いました。
松島:限られてるからこその工夫とかやりがいが色々とあったわけですね。
山口:また何らかのかたちでベトナムに戻りたいと、日本に帰ってからも強く思っていました。そうしたら、2006年に再度来ることになりました。
TPPはベトナムの更なる発展の起爆剤になる。
松島:2006年からは前回とは違う商社としての立ち上げだったわけですが、また苦労する部分は違いましたか?
山口:最初はベトナムに進出している日系企業を営業対象にしたのですが、すでに主要な会社は大手商社さんとの取引が確立していました。そこで我々は止む無くローカル企業へ対象を変更して営業を開始しました。
これがまた大変で。日本人が突然行っても言葉もできないし、商習慣も違うしで話になりません。なので、ベトナム人スタッフにまずコンタクトしてもらい、私も一緒に同行するというのをひたすらやりました。
ローカル企業の中には、いい加減な企業と、ある程度信用できる企業がありますから、それを見極めるのにはかなり苦労しました。
松島:それは生産拠点の立ち上げとしての20年前とはまた違った点ですね。
山口:また違うわけですよ。ビジネス環境がまだまだ国際標準に至っていない。
そんな状況なので、TPPにベトナムが加盟するのは、このような状況を変える大事なチャンスになると思います。
単なる関税の自由化だけではなくて、国際基準に従った商習慣の確立、国営企業改革など、TPPの中には色んな要件が入ってますから。実際にTPPが推進されてくると、どんどん整っていくと思います。
松島:そういった意味でもTPPは、またこの国が成長できる起爆剤になりそうですね。
山口:はい。ベトナムがTPPへの加盟を決めたのは英断ですよね。アジアオセアニア地域でのTPP加盟国は、日本・ベトナム・マレーシア・シンガポール・ブルネイ・ニュージーランド・オーストラリア。ASEAN諸国の中では4ヵ国で、ベトナム以外ではマレーシア・シンガポール・ブルネイです。
シンガポールは、金融拠点なので工業国ではないわけです。断トツに経済が強い。ブルネイも資源国で豊か。マレーシアも一人あたりのGDPではベトナムの3倍くらい上です。そうなると12ヵ国中で、ベトナムは最後発発展途上国なんですよ。それがTPPに加盟するということは素晴らしい決断です。
松島:なるほど。
山口:日本ではいまだにTPPにより農業や米がどうなるんだ、畜産がどうなるんだと議論していますが、影響は限定的ですよ。
でもベトナムはほとんどの企業が零細で、ほとんどの分野に関税フリーで入ってくることになれば、多くの業種でダメージを受けることになると思います。にも関わらず、何でベトナムがTPPに加盟するのかというと、やっぱりこの国が変わるチャンスだということなんです。このあたりが、ベトナムのすごいところです。
松島:すごいですね。
山口:TPPに加盟することで、不透明な商習慣も改善されてくると思うので、外国投資が増える。アメリカのシンクタンクや世界銀行の予想でも、実はTPPで一番恩恵を受けるのは12ヵ国中ベトナムなのではないかというレポートもあります。
もともとTPPはアメリカ主導で作ってきたもので、ベトナムにとってはかつての敵国ですよね。それを過去は過去として、今年の7月に共産党書記長がアメリカに行って、「かつての敵は今は重要なパートナー」と言っているんです。
松島:とてもフラットな姿勢を持ってるんですね。
山口:戦争は戦争で忘れてはいけないけれど、将来に目を向けていきましょうというベトナムの負を恐れず、マイナスを恐れない姿勢は立派ですよね。
だからまだまだ整っていない部分や不満な点も多いですが、仮に私は会社を退職した後も、日本とベトナムを結びつけるような仕事をしていきたいと思っています。
松島:その想いはすごいですね。
山口:それはやっぱり、20年前にベトナムに来て貴重な経験をさせてもらって、それに恩返しをしたいと思うんです。日本にもベトナムにもそれぞれに良いところがあるわけです。ダメなところもそれぞれある。そのダメなところを補完しあって互いに高めていくのに、日本とベトナムは非常に良いパートナーになる。
だから日本政府もODA供与国として、今ベトナムがナンバー1なんですよ。現在、日本はODA供給額を削減していますが、その中でベトナム向けだけは増やしています。やっぱり日本政府もベトナムとの取り組みを非常に意識している。ベトナムも全方位外交でどこの国とも仲良くするんですが、やっぱり日本との関係は非常に重要視しているので、両国の結びつきは非常に強固だと私は思いますね。
初めての経験や出会いが、自分の新たな可能性を掘り起こしてくれる。
松島:20年前、10年前、そして今、山口さんは両国の架け橋となってこられたと思うのですが、どんな人がそのような役割を担っていけると思いますか?
山口:やっぱりその国のことを、好きになれるかなれないかですよ。当然嫌なこともたくさんある。でも私は絶対また帰ってきたいなと思ったんです。何かしたいなと。それはこの国のことが好きになったからですよね。
我々東レの人間は様々な国に行ってるので、みんな最初に行った国のことをそれなりに愛着を持つんですが、愛着だけではなくて、やっぱりその国に、その国の人たちに可能性を感じられるかどうかです。
松島:そういう感受性を持てるかどうかが、重要だということですね。
山口:はい。そういうことではないかと感じています。
当地に進出している中小企業の方に会ったりすると、もともと海外に行くなんて思ってなかった方が多いわけです。でも、中小企業が海外進出をする際の行き先として現在は、ベトナムは非常に多いんですよね。30代くらいの方が派遣されてくるんですが、こちらでいきいきと活躍されてる方々が多いと感じます。
海外に行くなんて思ってもいなかったのが、任命されてきて。私と一緒ですよ。来てみたら責任が全然違う。日本では一部の仕事しかやってこなかったのに、こっちに来たら色んなことをやらなきゃいけないわけですよね。大体、日本人の駐在者は1人か2人くらいですから、そうすると技術屋でも人事のこともやらなきゃいけないし、総務のこともやらなきゃいけない、お役所と話もしなきゃいけない。そうして色んな仕事の経験ができる。
そういう中で、他社の駐在者同士で悩みを共有したりして、全く異業種の人とも親しくなったりします。人脈が広がって、世界が広がって、来て良かったなと思ってる方が多いんだと思います。
考え方として海外に来た時に、せっかく来たんだから何かやってみようと思える人たちだったら、きっと上手くいくと思います。自分が経験したことも無いような新しい発見や出会いとかが出てきて、可能性とか力が出てくるものですよ。
共に働くことで、切磋琢磨して、高め合っていってほしいです。
松島:なるほど。この記事はベトナム人の方にもぜひ読んでいただきたいのですが、ベトナム人の良いところ、可能性というところもお聞かせいただけますか?
山口:良いところは、皆さん勉強熱心ですよね。
松島:それは本当に感じますね。
山口:昼間働いている人は、若者の場合必ずと言っていいくらい夜も学校に行くじゃないですか。これね、本当に偉いですよ。1週間のうちに6日行ってる人も結構いますからね。3日間は第二外国語。3日間はアカウンティングとか、コンピューターとか。それは私が最初に来た時から変わってない。日本人の若者のうち何人がそんなことしているかってことですよ。
松島:耳が痛いですね。
山口:他の東南アジアの国を見てもあまりいないですよね。ベトナム人の目的に向かって努力する姿勢は素晴らしいですね。
なので、せっかく勉強に行くんだったら、ライセンスや卒業証書の取得のみを目的にするのでは無く、本当に勉強したことが自分の身になるような勉強の仕方を是非ともしてほしいなと思います。せっかく夜勉強してるんだから、勉強の為の勉強じゃなくて、実際に活かせる勉強の仕方をしたらもっと良いと思いますね。
松島:本当にそうですね。
山口:お互いに一緒に働いていく中で刺激しあって、切磋琢磨していく。これがやっぱり両国にとってプラスになると思います。
飛躍的に伸びていくベトナム。だから、ますます面白い。
松島:今日お話を伺っていてすごく思ったのが、我々日本人のイメージでは、ベトナムはポテンシャルがあるとか、ベトナム人は良い人たちだからきっと伸びるという、ポテンシャルだけを見ていたんです。
でも実は、この国自体が努力をしていて、更に例えばTPP一つをとっても実は戦略的に動いてるということですよね。ポテンシャルを秘めているし、かつ彼らも行動に移しているわけじゃないですか。私たちがポテンシャルを引き出してあげるなんておこがましくて、一緒に対等のかたちでやっていかないといけないですね。
山口:お互いに良いところを吸収し合ってやっていくということですよね。
松島:最後の質問になりますが、御社の今後の戦略をお聞かせください。
山口:今後の戦略としては、弊社としてもTPPの影響が大きく、ベトナム縫製品のアメリカ向けの輸出が飛躍的に伸びると考えています。
松島:ベトナムでますますこの繊維業界が面白くなるということですね。
山口:面白くなると思いますよ。だからこれは我々も力を入れないといけない。アメリカ向け、更にEUとのFTAも基本合意がこの2ヶ月前になされたわけです。ということは来年中にはだいたい両方とも発効しますよ。
松島:ということは欧米。
山口:欧米なんですよ。現在でもベトナムの縫製品輸出相手国1位がアメリカ、2位がヨーロッパ、3位が日本。その1位と2位が関税が無くなったら、大きくなっていきますよね。そしてEUともFTA交渉をやっているわけですよ。ということは縫製品輸出は間違いなく飛躍的に伸びていきます。
そうなると我々がどういう人材が欲しいかというと、縫製工場で働く人は、日本語だけではなくて、英語もできる人、ということになるんです。
松島:欧米人とのやり取りが増えてくるということですね。
山口:そう。すでに欧米系の企業が工場にいっぱい視察に来てるんですよ。日本は商社とかが間に入って仕事をしますが、欧米は工場と直にやりたがる。そうするとますます工場に駐在してる人が、英語が話せて、英語でメールを返せて、時には英語で電話をしてとか、そういうことができないと困るわけです。
松島:ということは、日本人に求められるものもまた。
山口:そうですね、より一層英語力は問われるようになると思います。今だってベトナムの国営企業の社長さんとか、ある程度の役職者も、英語ができない人は役職に就けないと言い出していますからね。
他には、東レグループとしては水処理関連やカーボンファイバーで橋の補強など、この国のインフラに貢献するビジネスを加速させていきたいです。
松島:グループ全体でもっともっと盛り上がっていきそうですね。今回は山口さんのベトナムへの熱い想いの源泉を聞けてとても良かったです。
山口:今では私は、当時の上司に貴重な経験をさせてもらって非常に感謝してますよ。
松島:最初はびっくりしましたけどね。
山口:排水の陣ですよ。なんでも勉強ですよね。だから私は赴任した最初の1年間は日本に帰らなかったです。困難の連続でしたけど、今となってはとても貴重な経験です。
松島:日本ではなかなか経験できないことですよね。
山口:工場で三交替稼働を始めた最初の日に、深夜勤に切り替わるタイミングで大雨になってしまったんです。あたり一面真っ暗だし、このまま従業員を帰すわけにはいかないので、私の乗用車でみんなの家まで送ったこともありました。本当に初めての経験ばかりで苦しい中でも楽しかったです。
松島:それを楽しめたというところに、山口さんのベトナム駐在の適性があったんでしょうね。
山口:そう。その時の大変さというのが私としては非常に良い経験になってます。だからこそ、この国を何とかしたいなという気持ちが心の中には強いわけです。
こんな経験をぜひもっと多くの皆さんにしていただき、成長の機会としてほしいと思いますね。
松島:今日は私自身にとっても、ベトナムで働くことの意義を強く感じるお話でした。本日は貴重なお話をありがとうございました!
<取材協力先企業>
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桝田 亮