フィリピンの先住民族、アイタの人々に会ってきた!

今回は、フィリピンの先住民族「アイタ(AetaまたはAgta)」 についてご紹介します!

フィリピンは多様な民族が共存する国。大部分を占めるマレー系、中国系、スペイン系、それらの混血。そしてアイタを含む少数民族たち。
アイタの人々はいったいどんな生活を送っているのでしょうか?


フィリピン先住民族、アイタ(Aeta/Agta)の人々

アイタは2万5千年から3万年ほど昔に、インドネシア方面からフィリピン諸島に移住してきた先住民族です。特徴は暗い褐色の肌、低い身長、天然パーマ。
3から6家族が集まって小さな村を作り、通常はキャプテンが村に1人は必ずいて、村全体を統括しています。

アイタ族の方が多く住む通り

 

NGO、プレダ・ファウンデーション(Preda Foundation)の活動に参加

アイタの人々を尋ねるため、マニラ首都圏から北西に80km、オロンガポシティ(Olongapo City)を訪れました。

マニラ首都圏から北西に80km、オロンガポシティ(Olongapo City)のイラスト地図
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Ph_locator_zambales_olongapo.png

 

オロンガポシティには「プレダ・ファウンデーション(Preda Foundation)」というイギリス人神父Shay Chllen氏が立ち上げたNGOがあります。
約60人のフィリピン人スタッフが働いていて、ヨーロッパからのボランティアのため長期間滞在している学生も10人ほどいました。

プレダはでは恵まれない子供たちへの教育活動や、貧しい人々への支援など、さまざまな支援プログラムを実施しています。

今回私が参加したのは「プレダ・フェアトレード・プロジェクト(Preda Fair Trade Project)」! プロジェクトの目的は、アイタの人々が公正な価格で農作物を販売できるようにすることです。

アイタの人々は「ピコ(Pico)」という品種のマンゴーを栽培することで、生計を立てています。しかし、マンゴーは街の市場で販売すると、1つあたり数ペソでしか販売できません。そこでプレダは、アイタの人々がオーガニック(有機栽培)のマンゴーを作れば、付加価値が生まれ、十分な収入が得られると考えました。

オーガニックマンゴーは収穫後、農家からNGOが買い取り、セブ島のドライマンゴー製造工場へ送ります。マンゴーは、オーガニック・ドライマンゴーへ加工され、フィリピン国内へ販売、また海外へと輸出されます。

オーガニックマンゴーとして販売するためには、「オーガニック農家」という認定を受ける必要があり、簡単にできることではありません。そのため、継続的な教育支援が必要です。農業教育だけではなく、子供たちへ教育物資を提供したり、村の紛争を一緒に解決したりする活動もしています。

 

アイタの村を実際に訪問!

プレダのオフィスから、フィリピン人スタッフとモーターバイクに乗って1時間半。アイタの人々が住む村にたどり着きました。

▼アイタの人々が住む竹製高床式住居。アイタの伝統的な住居です。
アイタの人々が住む竹製高床式住居。アイタの伝統的な住居

▼アイタの村の様子
木造建築の家が2建並んでいる

まずは子供たちに教育支援物資(ペン、ノート、スクールバッグ)を届けました!
子供たちのうれしそうな笑顔が忘れられません。

次に、村のキャプテンと会議。村の問題点、解決策などを話し合います。
この日は、ピコマンゴーが病気にかかり腐ってしまった、という悩みを相談していました。

▼病気にかかったピコマンゴー
病気にかかって黒ずんだピコマンゴー

 

アイタの人々が現代社会に求めるものは?

アイタの人々の生活は、近年大きく変化しています。

きっかけは1991年、 ピナツボ火山(Mt. Pinatubo)の噴火。“20世紀最大の被害をもたらした噴火”とニュースでは報道されました。

山麓に住んでいた多くの人々が、生き延びるため丘陵地帯へと住居を移し、落ち着いてからも山に戻ることはなく、その場で生活を再建する道を選びました。

▼大噴火前のピナツボ山(1991年4月)
大噴火前のピナツボ山(1991年4月)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Pre-eruption_Pinatubo.jpg

噴火前は、自給自足の生活をしていたアイタの人々。生活必需品は農作物を交換し、商人から手に入れるといった、始原あふれる生活。
噴火後、アイタの人々はどんな生活をすることを望んだのでしょうか? 今回私が感じたのは以下の3つです。

1. 農業によって十分な暮らしをすること

アイタの人々は、農業によって生計を立てていくことを望んでいました。
農業を営んでいくにあたっては、農地の提供や経済的サポートが不可欠。政府は予算の制約などもあり、現在は主にNGOが支援を行っています。政府、NGOが協力して仕組みを作っていく必要性を感じました。

2. 子供たちが平地民と同じ教育・就労の機会を得ること

子供たちには、平地民(=平地に住む人々)と同じように学校に通い、将来同じように職業の選択ができるようになることを望んでいます。
教育物資を届けたり、スクールバスを出したりする支援も行っていますが、今回のプロジェクトのように、アイタの人々が十分な収入を得られるようになることが子供たちの将来につながっていくのだと思います。

3. アイタとしての誇りを持って生きていくこと

アイタの人々はもともと、平地民を「フィリピン人」と呼び、自分たちは「フィリピン人」という意識は希薄でした。また独自の言語を話し、精霊信仰を持っていました。現在は、「先住民でありながらも、フィリピン社会に住むフィリピン国民」という意識を持ち始めているのだそう。
その上で、完全に溶け込んでしまうのではなく、アイタとして社会的な居場所を確立し、誇りを持って生きていくことを望んでいました。
お互いの文化を深く理解し、尊重し合う社会になっていくことが重要であると感じました。


いかがでしたか?

皆さんにとって、この記事がフィリピンの少数民族について興味を持つきっかけとなれば嬉しいです!

好きな食べ物はタコス

好きな食べ物はタコス

カジコ(外部ライター)

カジコと申します。フィリピン人の楽観的でなまけものなところに惹かれ、フィリピンのマニラに住みはじめました。いまは愛しい彼氏と、のんびりマニラの生活を楽しんでいます。好きな食べ物はメキシコ料理のタコスです。

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